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絶江坂(ぜっこうざか)

 

現在の南麻布三丁目と南麻布二丁目の境界、旧麻布本村町を南北に結ぶ坂で、西の新坂薬園坂と同様に北が高台になり、南の明治通り沿いには古川が流れ低い。

坂の名の由来は、現在も坂の東側にある曹溪寺が、承応2(1654)年に赤坂から当地に移転してきた。初代和尚の名が絶江であり、この僧が名僧だったため、この周辺一帯の里俗名となり、それが後に坂の名となって今日に至っている。南麻布の閑静な住宅街の静かな坂である。

 

写真で見る絶江坂(写真をクリックすると拡大表示されます)

絶江坂を南の坂下から北に向かって上ってみましょう。一枚目は坂下の明治通りから坂上に向かって写した一枚です。こんもりとした緑が既に見えていますね。

2005.1.30撮影

坂下の明治通りを写しました。奥が古川橋交差点になります。明治通りの右を走る首都高速2号線の高架の下は古川が流れ、流域両側は新広尾町でした。

2005.1.30撮影

坂を上り始めてすぐに振り向くと、首都高の高架の向こうに白金一丁目再開発のビルが生えています。この辺りは高い建物があまりなくて空が広いのに、勿体ないですね。

2005.1.30撮影

少し上ると上の写真でも見えた大木が迎えてくれます。右の塀の奥は曹溪寺の墓地になります。お寺の本堂は坂とは反対側になるため、ここからは見えません。

2005.1.30撮影

何故かずいぶん坂を上った地点に坂下の標識がひっそり立っています。道が狭いために坂下交差点付近に立てられないのでしょうか。不思議な位置です。

2005.1.30撮影

左の写真にも写っている標識を含めて坂上側から坂下に向かって一枚。この十字路を左右に通る道には、かつて水の流れがあった痕跡が見られます。

2005.1.30撮影

坂上に向かっています。坂は写真正面奥から左にカーブしています。傾斜はカーブの地点までが比較的急で、その後は急激になだらかになります。

2005.1.30撮影

坂の左には延明院という寺院があります。本村町は寺院の多い町ですが、この一帯は特に多いです。江戸時代には、現在の明治通りが江戸の境界だったためでしょうか。

2005.1.30撮影

冬の晴天の中に聳える白金一丁目再開発のビル群です。寺院が多く空が広い風景の中で異彩を放っています。あと何十年かしたら、この辺りもビルだらけになるのでしょうか。

2005.1.30撮影

坂の途中で右に別れる路地があり、その道を行くと、写真の建物が。ずいぶん年季の入ったアパートですね。手前には建物が取り壊された残骸が残っています。

2005.1.30撮影

坂に戻りましょう。カーブを曲がるとその先は傾斜はなだらかになり、道はまっすぐになります。両側の風景は武蔵野の住宅地みたいですね。

2005.1.30撮影

坂下の標識の位置も中途半端ですが、坂上側の標識も、まだ傾斜が続いている坂の途中に設置されています。何か特別な事情があったのか、知りたくなってしまいます。

2005.1.30撮影

坂の左側には若松寺があります。最近建て直されたようでピカピカに輝いていてきれいですですが、ちゃんと風景に溶け込むのは、やはり寺院だからなのでしょうね。

2005.1.30撮影

坂下に向かって写しています。カーブがあるので坂下はまったく見ることが出来ませんが、坂下からも見えていた木が正面奥に見えています。

2005.1.30撮影

どこが坂の終わりなのか分かりにくい絶江坂ですが、この位置の背後は突き当たりになり、右にしか行けません。右に折れると突き当たりで薬園坂上に行き当たります。

2005.1.30撮影


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2005年2月13日公開


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