
現在の南麻布三丁目、旧麻布本村町を南北に通る坂で、坂下は明治通り、古川にかかる四の橋になる。西には平行して新坂が、東にも平行して絶江坂が通る。本村の台地の南端を担う坂である。
坂の名の由来は、江戸前期にこの辺りに幕府の御薬園があったためについた。御薬園はその後正徳3(1713)年には廃止され、小石川白山御殿跡に移されたという。
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| 薬園坂を北の高台から南へと下りましょう。まず一枚目は坂上の写真です。正面右へ下るのが薬園坂、左奥に下っていくのはお隣の絶江坂です。手前に奴坂もあります。
2005.1.30撮影 |
坂上にある港区が設置した標識です。風雨にさらされて文字がはげてしまい、あまり読めませんが、要は江戸初期にこの一帯に御薬園があったということです。 2005.1.30撮影 |
坂上から坂下を見通しています。麻布の坂には珍しく、坂上の傾斜がそれほど厳しくありません。坂下に行くにつれ、右にカーブしており、坂上から坂下は見えません。 2005.1.30撮影 |
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もう少し下ってみました。南の斜面ですので陽当たりが良く、高い建物も少ないのでとても気持ちがいいです。正面奥に白金一丁目再開発のビルが見えます。 2005.1.30撮影 |
左の写真の辺りから、坂上から見て右に入る路地があり、その先に何とも良い坂がありました。名前はないようですが、思わず探検に乗り出します。 2005.1.30撮影 |
左の写真からもう少し進むと、前方が厳しい谷になり、その向こうが再び高くなっているのがよくわかります。この路地の北にある奴坂と同じように、中心が低くなっています。 2005.1.30撮影 |
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上段一番右の写真の一番奥の、反対側の高台まで来てみました。急勾配で息が切れるほどです。両側の高台の高さはほぼ同じ程度で、中心にはかつて川があったようです。 2005.1.30撮影 |
さて、探検を終えて薬園坂に戻りましょう。坂の中腹から坂上を見ています。一戸建て住宅がどんどん減っている麻布ですが、この辺りではまだまだ健在です。
2005.1.30撮影 |
大分下ってきて、坂下の四の橋交差点の信号が見えるようになりました。この日は道路工事を行っていて、いまいち見通しが悪かったのが残念です。 2005.1.30撮影 |
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カーブの手前から振り向いて坂上を写しました。勾配の角度にしてもカーブにしても、どちらかというと控えめで地味な感じがする坂ですね。 2005.1.30撮影 |
大分下ってきました。正面は道路工事で通行止めになっていますが、その向こうに四の橋交差点が見えます。首都高2号線がなければ、古川がハッキリ見えたのでしょう。 2005.1.30撮影 |
真冬にもかかわらず、かなり緑が多く日陰を作っています。マンション化がまだまだ進んでいない地区なので、緑が多いですね。真夏の風景も写したくなります。 2005.1.30撮影 |
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坂下に近づくと、右手にはイラン大使館があります。大使館の敷地の中に翻る国旗と、住宅でしょうか、マンションのような建物もありました。 2005.1.30撮影 |
ほぼ坂下から坂上に向かって写していますが、工事に遮られてイマイチですね。普段もそれほど交通量が多い坂ではありません。 2005.1.30撮影 |
坂下交差点の手前から坂上に向かって。本村町は台地と川沿いの低地を両方町域に持つため、町内にたくさんの坂があります。 2005.1.30撮影 |
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坂下の四の橋交差点までたどり着きました。正面の高架は首都高2号線で、ずっと古川の上に多いかぶさっています。正面奥は麻布田島町の四の橋商店街です。 2005.1.30撮影 |
四の橋交差点の角には、モトローラ日本法人の本社ビルがあります。地下鉄南北線が通るまでは、ここに通う人達はずいぶん不便だったのではないでしょうか。 2005.1.30撮影 |
四の橋交差点の信号と、北に向かっての坂全景です。空が広く真っ青で、都心の真ん中であることを一瞬忘れます。この辺りは寺院も多く、光林寺などは本当に美しいお寺です。
2005.1.30撮影 |
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2005年2月6日公開
2005年2月13日更新