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南部坂(なんぶざか)(旧麻布谷町、今井町)

麻布は坂の多い町として知られているが、麻布の中に同じ名前の坂が一つだけある。それがこの南部坂で、このページで紹介するのは現在の六本木二丁目と赤坂二丁目の境界、旧麻布谷町、旧麻布今井町、旧赤坂福吉町にある坂で、もう一つの南部坂は現在の南麻布五丁目、旧麻布盛岡町の有栖川公園沿いにある。

さて、こちらの南部坂は、六本木二丁目と赤坂二丁目の境界にあり、それはすなわち、この坂が麻布最北端の坂であることを意味している。六本木通りの一本裏手、久国神社前の路地から、赤坂氷川神社方面の高台へ一気に上る急な坂である。

南部坂の名前の由来は江戸初期にこの地に奥盛岡藩南部家の屋敷があったため着いた。 明暦2(1656)年に南部家と旧麻布盛岡町の播州赤穂藩浅野家が、屋敷地の交換を行い、南部家屋敷は麻布盛岡町に移り、代わりに浅野家の屋敷が移転してきたが、この浅野家が「忠臣蔵」の浅野内匠頭の家である。「忠臣蔵」の赤穂浪士の討ち入りがあったのが、この移転から約50年後の元禄15(1702)年のことで、現在の赤坂氷川神社の一角にあった浅野家屋敷に暇乞いに訪れた大石内蔵助を遙泉院が見送るのが、講談で有名な「南部坂雪の別れ」であり、その舞台はこの南部坂である。

急峻な勾配で歩いて上るのに苦労したため、「難歩坂」と書いたという別説もあるが、これは言葉遊びであろう。

決して大きな坂ではないが、情緒豊かな美しい坂である。ただ、坂上から一望できるのが、六本木通りを挟んだ赤坂アークヒルズの超高層ビルというのは、如何なものだろうか。

写真で見る南部坂(写真をクリックすると拡大表示されます)

歴史豊かな南部坂を上りましょう。まずは坂下から坂上へ向かって一枚。右は赤坂、左は麻布です。交通量も少なく、静かなたたずまいです。

2005.12.25撮影

坂下の路地を赤坂方面に向かって写しています。写真の左に坂があります。六本木通りから一本入っただけで、驚くほど静かになります。

2005.12.25撮影

同じく坂下から、麻布側を写しています。写真では見えませんが、右手奥には久国神社が控えています。中小のビルが多い地区です。

2005.12.25撮影

坂の登り口すぐに、石に坂名が刻まれた碑が立っています。建立者の名前も刻まれています。ぱっと見ると公道に立っているように見えるのですが、どうなのでしょうか。

2005.12.25撮影

坂は上り始めて間もなく左に急にカーブします。麻布側は、坂下は旧麻布谷町で、。カーブの先から旧麻布今井町になります。

2005.12.25撮影

坂の途中のカーブの地点から坂下を見てみました。一気に駆け下りる感じですが、カーブが急なため、坂上から坂下を臨むことはできません。

2005.12.25撮影

カーブ地点から坂上を見ています。左手一帯はアメリカ大使館宿舎の土地が続いています。昔から屋敷地で広々とした区画の地域です。

2005.12.25撮影

急勾配が終わりかけた場所から、坂下に向かって写しています。カーブのところまでしか見えません。こちらか見ると、右側が旧麻布今井町になります。

2005.12.25撮影

坂上に近づいてきました。夜は静かで暗く、ちょっと怖い感じになりますが、昼間は空が広くて気持ち良い空間です。港区設置の標識が良く似合っています。

2005.12.25撮影

麻布の坂の標識は、繁華街ではピンクチラシが貼られたり落書きされたりと散々ですが、この坂では標識が隣の土手とマッチして、凛と立っているようです。

2005.12.25撮影

坂の由来が書かれています。麻布の坂にはまだまだ名前が着いていないものが多いので、皆で考えて名前をつけたらどうかと思うのですが、いかがでしょう。

2005.12.25撮影

坂上正面には、アークヒルズが聳えています。このアーク森ビルの、大体真ん中から右が麻布、左が赤坂になります。麓には桜川という川が流れていたそうです。

2005.12.25撮影


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2005年12月30日公開  2006年1月21日更新


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