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笄坂

麻布笄町、現在の西麻布二丁目、西麻布四丁目の境界の六本木通りにある坂で、明治に入ってから作られた道である。名前の由来はその名の通り、笄町または笄川からとられた。大通りは現在では六本木通りと呼ばれているが、この名称がついたのはバブルの頃で、それ以前は名前のない通りで、都電が通っていたころは電車通りと呼ばれていたようだ。現代ではメインストリートとなっている六本木通りだが、笄坂上の高樹町交差点から渋谷へ抜ける部分が開通したのは東京オリンピック前後で、それまでは骨董通り側にしか道はなかった。

現代の笄坂は首都高速3号線と西麻布交差点を越える立体交差の二重高架がかかっており、往時の様子を偲ぶことはできない。

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笄坂を西麻布交差点から四丁目側を上ります。正面に見えているのは一世を風靡したアイスクリームの「ホブソンズ」です。真夜中でも行列が出来ていましたが、あれはサクラだったという話しですよね。

2004.5.23撮影

坂下から坂上に向かって。私が子供のころは、まだまだ木造の家が道沿いにも残っていたのですが、いつの間にか全てビルになってしまいました。蔵のある家なんかもあったのが懐かしいですね。

2004.5.23撮影

坂を上り始める手前で左に折れる細い道がありますが、この道が笄川の暗渠です。かつては川沿いだった痕跡があちこちに見られましたが、今では見つけるのは難しくなってきました。

2004.5.23撮影

坂の中腹から坂下を写します。左側には首都高3号線と立体交差の二重の高架がかかっていて、騒音と排気ガスがかなりひどいです。両側がビルになってしまい、陽もあたりません。

2004.5.23撮影

坂の頂上ちょっと手前から坂下を写しています。一番低いのが西麻布交差点で、その奥は霞町霞坂になります。右側には小国の大使館がたくさん入ったビルもあります。

2004.5.23撮影

坂を上り切ると高樹町交差点。高樹町は麻布の地名ではなく、旧赤坂区の「赤坂青山高樹町」になります。赤坂は麻布の北側にあるのに、麻布の西南にまた赤坂区があるのはちょっと不思議な感じがします。

2004.5.23撮影

高樹町交差点です。先日まで「南青山七丁目」という交差点の名前だったのが、何故か最近になって旧町名の交差点名に変更になりました。渋谷に向かう正面六本木通りは、オリンピック前まで道がありませんでした。

2004.5.23撮影

六本木通りを西麻布四丁目側から二丁目側に横断しました。二丁目側の坂上には、長谷寺があります。首都高の高架のせいで、二丁目側と四丁目側が同じ笄町というのは、もはや実感できなくなってしまいました。

2004.5.23撮影

二丁目側坂上から坂下方面を臨みます。正面は首都高速の高樹町入り口で、奥には谷の向こう側の六本木ヒルズが見えています。

2004.5.23撮影

二丁目側の坂の途中です。四丁目側と同じく、いつの間にか全部ビルばかりになってしまいました。一本裏の路地に入るとまだまだ民家も残っていますが、何とも殺風景な様子になってしまいました。

2004.5.23撮影

左の写真より少し下った場所から坂下に向かって一枚。昔はよく自転車で坂道を駆け下りる子供達を見かけましたが、最近はすっかりそういう光景を見ることも少なくなりました。

2004.5.23撮影

坂下麓から坂上に向かって。写真の右側の地下には、かつて「Red Shoes」というバーがありました。カウンターのスツールがとても高いのが特徴で、料理は中華というバーでした。

2004.5.23撮影

坂下の西麻布交差点から首都高高架を写しました。これでも塗装をしたり証明をつけたりして、以前に比べれば少し見栄えが良くなったような気がします。

2004.5.23撮影

二丁目側坂下のこの路地も、四丁目側と同じく笄川の暗渠です。この一帯だけは麻布笄町ではなく、麻布霞町に属しており、町内会の掲示板も霞町町会のものが設置されています。和菓子「青柳」もこの通り沿いにあります。

2004.5.23撮影

西麻布交差点から写しました。右手に見える木造モルタルの二階建ての建物は、居酒屋「浜の家」です。かつて「夜霧のハウスマヌカン」がヒットした頃に、ハウスマヌカンの人達が一杯やりにおしかけていました。いつの間にビルの谷間に一軒だけの木造家屋になってしまいました。

2004.5.23撮影


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2004年6月19日公開


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