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土器坂(かわらけざか)

土器坂は赤羽橋交差点から飯倉交差点までを南北に結ぶ桜田通りにある坂で、現在の東麻布一丁目、麻布台二丁目、芝公園四丁目に位置する。旧町名では全域が麻布飯倉町に含まれ、坂上から二丁目、三丁目、四丁目、坂下が五丁目となる。

坂の名の由来は、飯倉町三丁目、四丁目一帯の里俗「土器町」から採られた。一帯に土器師が多く住んだためという。大きくて立派な坂なのに、港区の標識はない。何故なのだろうか。

東京タワーのすぐ脇を通る、なかなか勇壮な景観の坂である。麻布の坂の典型で、坂上に行くほど傾斜がきつくなる。

写真で見る土器坂(写真をクリックすると拡大表示されます)

飯倉交差点から赤羽橋交差点に向かって土器坂を下りましょう。まずは飯倉交差点と東京タワーです。タワーがあるのはギリギリで芝で、麻布ではありません。

2005.4.17撮影

左の写真から角度を変えて、飯倉交差点から土器坂を写しました。正面の交差点の向こうが土器坂です。急勾配なのが良く分かると思います。

2005.4.17撮影

土器坂上から坂下へ向かって写しています。奥に行くほどゆるやかで、手前に来るほど急な坂道になっています。ジョガー泣かせです。

2005.4.17撮影

坂上に向かっての一枚。飯倉交差点は東西の通りは両側が高く、南北の通りは両側が低くなっているという、複雑な交差点です。

2005.4.17撮影

坂下から見て左側中腹には熊野神社があります。この神社の提灯にはカラスの家紋が入っています。一歩入るとひっそりしていて、雑踏を忘れます。

2005.4.17撮影

熊野神社の隣にあった飯倉小学校と飯倉幼稚園は、ともに廃止されてしまいました。歴史の古い学校がまた一つなくなってしまいました。建物はそのまま残っています。

2005.4.17撮影

大分下ってきて、坂上に向かって写しています。正面のビルの向こうに東京タワーがあります。この辺りが土器町と呼ばれていた一帯です。

2005.4.17撮影

坂下から見て左側の下の方に、鰻の名店「野田岩」があります。上品な味ですね。しかし何故麻布で鰻なのでしょうか。昔古川で採れたのでしょうか。

2005.4.17撮影

坂下からちょっといったところからは、東麻布商店街への通りが分岐しています。い〜すとストリートという愛称がついています。

2005.4.17撮影

ほぼ傾斜が終わる地点から、赤羽橋交差点方面に向かって一枚。左手の高い建物は、例の東京プリンスの新築のタワーです。あまりカッコ良くないですよね。

2005.4.17撮影

傾斜がほぼ終わった地点から、坂の全景をとらえました。正面奥左手の緑のビルは市兵衛町の泉ガーデン、正面の霊友会の右隣も市兵衛町のファーストビルです。

2005.4.17撮影

坂下の赤羽橋交差点です。首都高環状線の下を、古川が流れています。この一帯には江戸期には川沿いに河岸が並んでいたそうですが、もちろん面影は何もありません。

2005.4.17撮影

赤花橋交差点を芝公園方面に向かって写しています。この交差点が麻布の東端で、この先は旧芝区になります。戦前はこの一帯も繁華街だったようです。

2005.4.17撮影

坂下から東京タワーを写しました。東京タワーの立っている場所は、ぎりぎり芝に入ってしまっていて残念です。あと100メートル西側なら麻布だったのに。

2005.4.17撮影

坂下交差点付近では共同溝工事が進んでいます。かつての土器町も、現代では地下に電車やらケーブルやらガス管などが詰め込まれて、なかなか落ち着かない感じです。

2005.4.17撮影


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2004年9月19日公開


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