ホーム>旧町名>麻布箪笥町

麻布箪笥町


■ 町域

六本木から溜池に向かう六本木通りの斜面沿いの谷を中心にした町。南西は六本木の尾根で北東が谷町の谷で低くなり、南東は市兵衛町の尾根になる。現在の六本木一丁目の一部、六本木二丁目の一部、六本木三丁目の一部で構成される。西から北は今井町と、北東面で谷町と、東から南は市兵衛町と接する。

■ いわれ

江戸初期に幕府に初めて御箪笥奉行がおかれ、その所属同心が現在の六本木通りに面した場所に屋敷を受けた際に町人を置く許しを得たのがはじまり。江戸時代は御箪笥町と、「御」の字が冠せられていた。

■ 歴史

寛永8(1631)年に御箪笥奉行を命じられ、山本与九郎の組10人、加藤伝兵衛の組10人の合計20人が箪笥組同心に召し出され、同10年3月に屋敷を拝領した。その際に願い出て町人を置いたが、寛文8(1668)年に新地奉行から表店は禁制と申し渡されたため、垣を巡らせて内店にして貸したという。

元禄9(1696)になってようやく町役を勤め表町家にすることを許されて代官支配となり、御箪笥町として正式に成立した。江戸期にこの周辺に勘助畑の里俗名があったというが詳細は不明である。

明治維新直後に「御」の字が除かれ箪笥町となったが明治2(1869)年に麻布谷町に合併される(谷町の項を参照)。しかし翌年に再度分離・独立、明治5年には周辺の武家地を合併し、町域が完成した。

もともと箪笥町の町屋が集まっていたのは町の西北部の通り(現在の六本木通りの一本裏)であったが、現在の六本木通りが明治に入ってから開通すると、両側に商店が出きて活況を呈し、町の中心は北西部から六本木通り沿いに変化した。戦前戦後を通じて町の東側は中小住宅が並ぶ地区であった。

■ 現況

昭和39(1964)年の東京オリンピックを境に箪笥町を取り巻く様相は劇的な変化を始める。六本木通りは大幅に拡張され頭上には首都高速3号線が架かり、一の橋〜飯倉片町からやってきた首都高速環状線とその下を通る都道との合流地点となっており(ジャンクション名は谷町だが、実際道路が合流している地点は箪笥町である)、高架が二重になり、大通りを行き交う車ばかりが目立つようになった。さらに道源寺坂を挟んで隣の谷町には森ビル最初の再開発事業「アークヒルズ」が80年代に完成する一方、フィンランド大使館だった場所に六本木プリンスホテルが開業する(フィンランド大使館は麻布プリンスホテルがあった場所に移転)。

90年代に入り町域は着々とオフィスビル化が進み、21世紀に入り、泉ガーデン、さらに2003年末には六本木ティーキューブも完成するなど、激しい開発が続いており、市兵衛町から箪笥町を抜けて桜田通り(都道415号線)へと抜ける御組坂は、下半分、箪笥町の部分が泉ガーデン再開発に伴って消滅した。

六本木通りを挟んだ六本木二丁目側地区は新しい再開発は進行していないようだが、既に上述した北西の裏通りを含めてほとんどの地区がオフィスビル化されており、一戸建て住宅は町域からほぼ消滅した。谷町や北日ヶ窪地区のような大々的な再開発ではなく、バラバラの中規模再開発で町が粉砕されてしまったのが箪笥町の例である。

隣の谷町と合同の町会が存続しているようなので、住民活動は活きているようだ。

■ 町内の坂

御組坂(おぐみざか) 今は箪笥町部分はない
道源寺坂(どうげんじざか)
なだれ坂(なだれざか)

■ 町内の神社仏閣

なし

■ 町内の教育施設

なし

■ その他町内にあるもの(あったもの)

泉ガーデン
営団地下鉄六本木一丁目駅
六本木ティーキューブ
六本木プリンスホテル
首都高速谷町ジャンクション


旧町名一覧に戻る

「麻布細見」トップページへジャンプ
2004年1月12日公開 2006年3月26日更新


(c) Kasumi Miyamura. All rights reserved.