
■ 町域麻布区最南端の町。全域が古川沿いの低地だが、古川よりも南側の芝区白金三光町に突き出しており、しかも町域は完全に二つに分断され、飛地となっている。大きな町域は東は新古川橋から西は富士見町の光林寺の手前あたりまで。小さな方の町域は東は五の橋から西は養老橋までのごく狭い範囲。いずれの町域も、南北は一区画だけしかない。現在の白金一丁目の北端一部と白金三丁目の北端一部で構成される。北側で新広尾町と、東で芝白金志田町と、南及び西では白金三光町と接する。
■ いわれ
元禄以前は古川が豊島郡との境界であったが、この辺りは荏原郡麻布領と称し、空き地であった。元禄から享保(1716〜1736)にかけて、幕府御諸請役や増上寺御霊屋御掃除頭その他の拝領町屋敷となった。当時はこの一帯を新堀向うと俗称していたようだが、三田龜塚の代地二箇所、西久保天徳寺領屋敷を併せて田島町を名乗ったという。当時周囲は田園であったため、田の中に島のように町屋があったため、田島町と呼んだという説がある。当時から飛び飛びの町屋であったものが、そのまま昭和まで残っていったようだ。
■ 歴史
正徳3(1713)年に麻布一帯の町屋が町奉行支配になった際にこの町も市中に加えられた。里俗として西側の小さな町を上町、東部の大きな町を下町または箒屋敷と称した。なお、当時は田島町の北隣の新広尾町一帯は川べりの湿地で葦が覆っていたため、四の橋は田島町から架かっていた。
明治維新でも特に町域に変化はなく、小住宅や町工場、それに木賃宿などができた。
■ 現況
住居表示で麻布の冠も外れてしまい、現在は他の白金地区と区別がつきにくくなっている。四の橋商店街の入口部分が当町域にあたるが、人口減少とマンション化が進み、商店街の活気は昔ほどなくなってきているようで、商店街のブランド化にはあまり成功していない印象がある(ブランド化したいという意志が四の橋商店街自身にあるかどうかは知らない)。町工場は姿を消しつつあり、白金ブランドによる再開発やマンション化が迫りつつある。
■ 町内の坂
なし
■ 町内の神社仏閣
なし
■ 町内の教育施設
なし
■ その他町内にあるもの(あったもの)
特になし
「麻布細見」トップページへジャンプ
2004年1月11日公開 2004年2月1日更新