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麻布新龍土町


■ 町域

麻布区の北西端の町。東側は外苑東通りの台地に面し、赤坂の乃木神社手前までが町域。西側は低地になり、青山墓地と対面する。町域にはアメリカ軍の星条旗新聞、青山公園、東大物性研究所が含まれたが、物性研究所は移転し、跡地が現在再開発中である。

ほぼ全域が現在の六本木七丁目だが、北端の地下鉄乃木坂駅周辺の教運寺一角だけは南青山一丁目になっている。北側で赤坂青山南町一丁目、赤坂新坂町、赤坂檜町に、東で龍土町、南で霞町、西で赤坂青山南町三丁目と接する。

■ いわれ

もともとは東隣の龍土町の一部であったため、明治11年に分離・独立した際に「新」の字を冠し新龍土町とした。

■ 歴史

もともとは麻布龍土町町在方分と麻布長泉寺門前があったが、大部分は武家地であり、幕末には鍋島備前守、鍋島甲斐守、伊達近江守の上屋敷地であった。明治2年に町屋部分は龍土町に合併され、明治5年に武家地も併せたが、明治11年に麻布新龍土町として分離・独立した。

明治24年には、元原宿村飛地字五反田の一部を新龍土町に編入した(青山一丁目に抜ける道路沿い一帯)。

明治時代から歩兵第三連隊が町域の大部分を占め、北東部には華族などの邸宅ができた。日本初のフランス料理店「龍土軒」もこの地にあった(現在は霞町に移転)。終戦後も一般住宅は北東部に限られ、残りの土地は「三連隊」こと青山公園、アメリカ軍星条旗新聞社、東大物性研究所、東大生産技術研究所などが占めた。

町域南側の霞町との境は現在星条旗通りと俗称されているが、東京オリンピック前までは道路はなく、小さな川が流れていたという。この川の源流は不明だが、土地の高低を考慮すると、旧防衛庁周辺ではないだろうか。下流は墓地下周辺で笄川に合流していたものと思われる。

墓地下から青山一丁目に抜ける幹線道路も東京オリンピック前に完成したもので、それまでは都電の専用軌道であった。浅田次郎の「霞町物語」で廃止される都電の写真を撮りに出かけるシーンがあるが、墓地下停留所周辺は霞町ではなくて新龍土町である。余談だがついでに言うと、霞町物語の冒頭で出てくる店も霞町ではなくて笄町である。

■ 現況

星条旗新聞社にはアメリカ軍のヘリポートがあり、毎日幾度もヘリコプターが離着陸している。また、このヘリポートは環状3号線道路が80年代後半から90年代前半にかけて着工された際、六本木トンネルの真上に当たるため、すぐ隣の青山公園の高台部分を東京都から借りて移転したが、工事完了後もアメリカ軍が借りた土地を返還せず問題となっている。青山公園の高台部分は大半が失われてしまい、金網と有刺鉄線が張り巡らされ、銃を持ったアメリカ兵が警備していてものものしい。

東大生産技術研究所、東大物性研究所は移転し、現在大規模な再開発が行われている。跡地には美術館などができるようだ。

■ 町内の坂

星条旗通りの坂(名前はない)

■ 町内の神社仏閣

なし

■ 町内の教育施設

なし

■ その他町内にあるもの(あったもの)

営団地下鉄乃木坂駅
環状3号線六本木トンネル
アメリカ軍星条旗新聞社
米軍へリポート
東大物性研究所(今はない)
東大生産技術研究所(今はない)
「三連隊」こと青山公園
笄川支流(今は暗渠)

■ 参照ページ

五反田


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2004年1月10日公開 2004年12月18日更新


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