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麻布新堀町


■ 町域

東流してきた古川が古川橋交差点で北に向かって90度流れの向きを変える、麻布区の南東端近くに位置する町。南側及び東側は古川沿いの低地だが、北西側は本村に向かって高台になる。全域が現在の南麻布二丁目に含まれる。北で竹谷町東町と、東及び南で新広尾町と、西は本村町と接する。

■ いわれ

新堀という名がついたのは明治初期。古川のことを新堀川と呼んでいたため名付けられた。

■ 歴史

江戸時代初期には町域のほとんどが武家屋敷であり、南西部に一部寺社地があり、町域北東部、現在の大通りの東側は三田村の一部となっていた。当時の古川はまだ小さな流れで、今よりも東を流れていたようだ。その周辺に最初飯倉町の代地ができ、元禄11(1698)年に富士見町に白銀御殿造営のため古川が改修され、今と大体同じ流路となった。その際飯倉町代地はなくなり、三田古川町の西応寺領町屋、三田古川町、三田古川町拝領町屋となった。

明治維新後にこの地区は北隣に当時あった龍土代地古川町と麻布古川町を合併して三田古川町となったが、住民はすぐに神田橋外に替地され、その後は空き地となる。明治5年に麻布新堀町が起立したが、明治20年頃はまだ町域の大部分が空き地で、徐々に貸長屋などができた。

その後徐々に町工場や倉庫などが多くなり、小住宅、アパート、会社の寮などもできた。

この地区には法印町、神原町という俗称があったらしく、「港区史」では、修験者が居住していたためかもしれない、と述べている。

■ 現況

町の南側は首都高速2号線の高架に沿う大通り沿いに小工場やラーメン店のような飲食店、さらに中小のビルが多くなっている。古川橋交差点から北側の大通り沿いも、飲食店が点在し、通り沿いはビルが多く、三の橋交差点にはテンプル大学日本校がある。大通りから裏に入ると台地に向かって静かな住宅地となっており、夜などは人気も少なく、高速道路高架を行き交う自動車の音がなければ、六本木や麻布十番の喧騒からほど近い場所であることを忘れてしまうほどである。

■ 町内の坂

なし

■ 町内の神社仏閣

なし

■ 町内の教育施設

テンプル大学日本校

■ その他町内にあるもの(あったもの)

特になし


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2004年1月10日公開 2004年4月4日更新


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