
■ 町域
全域が現在の六本木七丁目に含まれる。町域としては、外苑東通りの防衛庁脇の交差点から、星条旗通りが左に分岐する交差点まで。星条旗通りは、笄川の支流が暗渠になったもの。オリンピック前後まで川が残っていたらしい。
町域のほとんどが外苑東通りの尾根沿いにあり、高台の町という雰囲気。天祖神社に抜ける裏道はゆるやかな坂道だが、麻布の中では坂の少ない町の一つだろう。
北側を赤坂区の赤坂檜町と、東で六本木町に接する。南は材木町と、西は霞町と新龍土町に接する。
■ いわれ
芝の愛宕から西久保あたりの漁師が元和(1615〜1624)頃にこの地に移ってきたのが町の始まりと言われているが、龍土の名の起源には諸説ある。芝の狩人(かりうど)村から「か」が抜け、「りうど」村となったという説や、実際に龍が下ったから、など。
■ 歴史
古くは青山、今井、飯倉、麻布櫻田などを含む広大な地域の総称であったが、江戸期に入ると大部分が武家地になった。町屋は町域の北半分に集中し、龍土町の名はその地域に残った。
明治に入り武家地や寺地を合併したが、明治11年に、もとの龍土町在方分、麻布長泉寺門前などは、新龍土町として分離独立した。
町域のほとんどが組屋敷だったので、明治以降はその区画のままの小邸宅が多く、表通りには商店が並んだ。その後表通り(今の外苑東通り)は商店街化し、その他は中小の住宅地となった。
なお、町内の窪地を「於亀谷」、「おかめ谷」あるいは「狼谷」と言ったが、お龜稲荷という祠があったためかもしれない。
■ 現況
外苑東通り沿いやベルファーレ周辺にはペンシルビルが林立し、飲食店や風俗店、高級クラブがテナントとして入るケースが目立ち、歓楽街六本木の外郭というイメージがある。バブル期に一気に開発が進んだが、その後バブルの終焉とともに高級店舗は撤退し、すさんだ印象がある。町域の真向かいにあった防衛庁が市ケ谷に移転し、現在再開発工事中で、これが完成するとまた町のイメージが変わっていくかもしれない。
表通りから一本入ると町の表情は一変し、こぢんまりして落ち着いた雰囲気の住宅が続いている。六本木西公園の裏手には現在でも生きた路地が縦横に通っていて、ひっそりとした町並を保っている。夕暮れどきに路地を通ると、何とも言えない風情である。また、天祖神社前の通りには高級フランス料理店や寿司店などが並び、表通りの雑然とした町並とは一線を画している。
星条旗通り沿いは、東大の物性研究所がなくなり、現在再開発工事中である。防衛庁を背にして右側には飲食店が並ぶ。バブル期には大変華やかだった地区だが、現在はあまり元気がない感じがする。
日本最初のフランス料理店、「龍土軒」は現在は移転しており霞町にある。また、日露戦争の頃に「お綱さん」という美人によって始められたという「おつな寿司」も、隣の六本木町のホテルアイビスに移転している。
■ 町内の坂
名前のない坂 その1(天祖神社前から叙々苑角で外苑東通りにぶつかるゆるやかな坂)
名前のない坂 その2(星条旗通りを東大物性研前から下る、かつての笄川支流跡)■ 町内の神社仏閣
天祖神社
法庵寺■ 町内の教育施設
なし
■ その他町内にあるもの(あったもの)
プラモデル屋 藤川(今はない)
笄川支流(今は暗渠)