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麻布六本木町


■ 町域

麻布区北西部の町。ほぼ全域が高台にあるが、芋洗坂周辺は麻布十番の谷に向かって切れ込んでいる。現在の六本木七丁目の六本木交差点周辺のごく一部、六丁目の芋洗坂からラピロス周辺までのごくごく一部、五丁目の高台の一部、三丁目の外苑東通り沿いのごくわずかが麻布六本木町の町域であり、現在の広大な住居表示「六本木」の範囲に較べると非常に小さな町である。分かりやすいランドマークで言えば、旧防衛庁脇の檜町公園に下りていく坂の交差点が西の端で、ロアビル脇の鳥居坂上交差点が東の端になる。

北端で赤坂区の赤坂檜町と接する他、北側で三河台町と、東側で東鳥居坂町と、南側で鳥居坂町北日ヶ窪町と、西側で材木町龍土町に接する。

町域に饂飩坂芋洗坂という二つの坂があるが、時代によっては両坂の名前が逆に呼ばれていた時期もあり、また、本来芋洗坂は六本木交差点が始点ではなく、材木町から饂飩坂との交差点に向かって通る一本裏の道(ピラミデ前を通る道)から薮下に抜ける坂だったようだ。

■ いわれ

六本木という名の起源については不確かな言い伝えが複数ある。六本の松が生えていたからという説や、上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳という、「木」にちなんだ名字を持つ6つの家の屋敷があったからとも言われている。いずれにしても非常に曖昧な言い伝えで、確かな情報は何も残っていない。

■ 歴史

麻布六本木町の町域は、現在の住居表示「六本木」に較べると1/20以下の非常に小さな範囲なのだが、江戸時代初期には、この麻布六本木町が、さらに飯倉六本木町、麻布龍土六本木町、麻布龍土坂口町、麻布北日ヶ窪町の一部と、麻布教善寺門前麻布正信寺門前麻布光専寺門前、深広寺門前の各門前町屋、および寺地、武家地に分かれていた。町屋の起源はかなり古いようで、飯倉六本木町が寛文2年(1662)、龍土六本木町と龍土坂口町が正徳3年(1713)に町方支配になっている。各門前を持った寺は、徳川二代目将軍秀忠夫人の三回忌を勤めた僧たちが、夫人の火葬場であった六本木の地を寺地として受領して起立したもの。

明治2年に町屋部分が合併されて麻布六本木町となり、同5年には武家地、寺地も併せて町域が完成された。明治期に入ってから、現在の六本木通りとなる通りが開通し、現在の外苑東通りと交差して要衝と化し、繁栄が始まった。

現在の六本木通りとなった通りは終戦直後から非常に道路幅が広くとられていたが、これは戦災復興方針に沿って地元区画整理組合の熱意により完成したもので、中央のグリーンベルトに六本のけやきを記念に植えた。

■ 現況

六本木七丁目側、六本木五丁目側とも、もともとの地主の土地を生かした小規模のビルが建ち並ぶ地区となっているが、都営大江戸線開通に合わせて開業した駅ビル一帯はやや大規模な建築となっている。

交差点の七丁目角に位置した誠志堂書店も昨年閉店し、町域西端に位置するホテルアイビスの入る高島屋サンローゼビルもゴーストビルと化しているが、一階や地下の飲食店や風俗店は何とか活気を保っている。町域東端近くのロアビルもゴーストビル化が進み、六本木六丁目再開発に湧く材木町・北日が窪周辺とは対称的に、町全体に元気がない印象がある。一戸建て個人住居はほぼ消滅しているが、ロアビル裏にごくわずか残っている。ただし、一帯も六本木五丁目再開発で姿を消す日も近い。

■ 町内の坂

芋洗坂(いもあらいざか)
饂飩坂(うどんざか)

■ 町内の寺社仏閣

教善寺
広専寺
深広寺
正信寺(今はない)
崇厳寺

■ 町内の教育施設

なし

■ その他町内にあるもの(あったもの)

六本木アマンド
誠志堂書店(今はない)
ロアビル

■ 参照ページ

飯倉六本木町
麻布教善寺門前
麻布光専寺門前
麻布正信寺門前


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2003年10月12日公開 2005年4月24日更新

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