
■ 町域
麻布区のほぼ中心の小さな町。かつて宮村新道と呼ばれた、一本松から仙台坂上に抜ける通り沿いに位置し、全域が尾根伝いの高台に位置する。2002年に竣工した森ビルの高層マンション、元麻布ヒルズが町域内に聳える。現在の元麻布一丁目の一部と元麻布二丁目の一部によって構成される。北で一本松町と、東で山元町と、南から西にかけては本村町、北西部で宮村町と境界を接する。
■ いわれ
麻布山善福寺の門前町である。山を中心に、東側に麻布善福寺門前東町、西側に麻布善福寺門前西町と対称的に位置した。門前の冠を外し、西町となった。
■ 歴史
江戸以前より門前町として存在していたが、宝永6(1709)に町家に許可され、麻布善福寺門前西町と称した。宮村新道の東側(現在元麻布ヒルズが建っている側)が町家となり、通りの西側は幕初以来成羽藩山崎氏邸であった。
明治2年、町名を西町と変更、同5年に上述の武家地を合併して町域が完成した。
旧来門前町屋であったが、明治期に入ると閑静な高級住宅地へと変貌を遂げ、商店は一軒も見当たらなかった。町の様子はその後概ね同様の状態が続いた。
元スウェーデン大使館があった辺り(22番地、現在のアルゼンチン大使館かパキスタン大使館あたりか)に慶長5(1600)年に首を埋めたという「首塚」があり、戦前までその場所には家が建たなかったという。また、同館内には「おばけ椿」が生えていたという。幹回りが1.3メートル、樹高が8メートルあり、数株の幹が絡まりあっているように生えており、古来朝晩で花の色が異なるため、「おばけ椿」と呼ばれ、麻布七不思議の一つに数えられた。昭和35年の「港区史」では戦災で失われたとあるが、戦前昭和16年発行の「麻布區史」では、当時すでに枯れてしまい、残骸を残すのみ、と書かれている。
■ 現況
明治期から常に麻布地区きっての高級住宅地だが、他の高級住宅地同様、近年低層マンション化が進み、一戸建ての立派なお屋敷は徐々に姿を消しつつある。町の東側には森ビルの再開発により29階建ての元麻布ヒルズが完成し、異様な姿を晒している。現在でも商店はほとんどなく、外国人居住者の割合も高く、西町インターナショナルスクールもある。
■ 町内の坂
なし■ 町内の神社仏閣
なし
■ 町内の教育施設
西町インターナショナルスクール
■ その他町内にあるもの(あったもの)
首塚
おばけ椿(今はない)
元麻布ヒルズ
パキスタン大使館
アルゼンチン大使館
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2004年1月17日公開 2004年12月25日更新