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麻布森元町


■ 町域

麻布区東部の古川北岸の低地の町。南が一番低く、北に向かって飯倉の台地に向かってやや高い。一丁目から三丁目まであり、北が一丁目で一番広く、二丁目と三丁目は古川沿いで東麻布商店街の通りを境界として左右に並んでいる。現在の東麻布二丁目の大部分と東麻布一丁目の一部で構成される。

町の北で狸穴町、東で飯倉町、南で北赤羽河岸、西で北新門前町と接する。

■ いわれ

明暦年間(1655〜1658)頃にはまだ人家はなかったようだが、延宝年間には(1673〜1681)には一帯が大名屋敷となっていた。森元町の起源は、元和年間(1615〜1623)に、伊藤某以下の者が下谷切手町に町屋敷を拝領したが、元禄11(1698)年9月に火事で類焼し、その場所が東叡山の用地となったため、翌年3月に芝増上寺森之下(当町域)へ替地を拝領し、芝森元と唱えたのが始まりとされる。

■ 歴史

元禄当時周辺には飯倉永坂町、抱屋敷、大長寺地、光照寺門前町屋、麻布永坂百姓町屋などが東側に、西側には麻布村、麻布永坂百姓町屋、松平丹波守屋敷、池田丹波守屋敷になっていた。二丁目のところに先生小路っと俗称する道があり、これは学者や画家が軒を並べていたためで、儒者服部家の居所があったため、服部長屋ともいわれた。

明治5年に周辺の武家地寺社地を合併し、芝森元町が起立、芝区に入るが、明治13年に麻布区に編入され、麻布区芝森元町と称し、さらに明治44年に芝の字を外して麻布区森元町となる。明治に入り町内に森本座、高砂座、曙座のいわゆる森元三座と呼ばれた劇場ができたが場所が悪かったせいか、明治35年には三つとも跡形もなく消えていた。

明治以降の町域は、東部には商家が多く、一丁目の西部には旧新庄藩の戸沢氏が引き続き邸宅を構えていたが、徐々に邸宅は解体され、小住宅と町工場が増えた。

■ 現況

東麻布商店街を中心に商店が多く、また、飲食店も点在しているが、全体的には住宅地となっており、南の大通り沿いはオフィスビルになっているところもある。住宅の合間に町工場も残っているが、北に行くと落ち着いた住宅街の雰囲気が強くなっている。

■ 町内の坂

なし

■ 町内の神社仏閣

なし

■ 町内の教育施設

なし

■ その他町内にあるもの(あったもの)

特になし

■ 参照ページ

光照寺門前


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2004年1月18日公開 2004年8月7日更新


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