ホーム>旧町名>麻布三河台町

麻布三河台町

■ 町域

麻布区北西の町。六本木交差点の北側を含む高台を中心とした町で、北東に行くほど谷町の谷に向かって低く、また、北西端の赤坂檜町との境界付近も低地になっている。

現在の六本木四丁目の一部と六本木三丁目の一部で構成される。町の北で赤坂氷川町、北東から東にかけて今井町、東で市兵衛町、南東で東鳥居坂町、南で六本木町、西で赤坂檜町と接する。

■ いわれ

江戸時代の初期に、町域に越前宰相松平三河守忠直の下屋敷があったために、この一帯を三河台と呼ぶようになった。当町域には町屋はなく、武家地と寺社地であったため、明治に入って初めて町名をつけることになり、里俗称であった三河台を町名とした。

■ 歴史

江戸時代初期よりおおむね町域は武家地であったが、中期に入ると町の北部に御薬草植場と三河台新馬場が設けられたが、寛政4(1792)年の火災以降は幕臣の住居となった。また、町域西南部の内藤氏邸は幕末までずっと変わらず同地にあった。現在六本木町に移転した崇厳寺が町内にあり、寺内には「田中閻魔(たなかえんま)」があり、江戸庶民の信仰を集めて繁昌したという。この「田中閻魔」が三丁目の閻魔坂の由来であろう。

明治5年に武家地寺社地を合わせて三河台町が起立。その後しだいに高台は上流の住宅地となり、表通りに面したところは盛んな商店街となった。溜池から霞町に抜ける現在の六本木通りは明治後期になって設けられた新しい道だが、この道が開通すると町はさらに繁栄した。

ほとんどの地域が第二次大戦の空襲で罹災したが、戦後も高級住宅地と繁華街の二つの顔を持つ町として繁栄した。

■ 現況

首都高速3号線の高架が町の真ん中を分断してしまい、六本木四丁目側と六本木三丁目側でずいぶんと表情の異なる町になっている。六本木四丁目の防衛庁跡地側は、表通り沿いはレストラン、バー、風俗店などがひしめいているが、奥に入ると静かな住宅地となる。交差点から遠くなるほど敷地がゆったりしているのが特徴。交差点のすぐ裏手には港区立三河台中学校があったが、廃校となり、現在ではNPOの拠点として跡地が活用されている。

一方六本木三丁目側は表通り同様裏通りにも飲食店や風俗店が林立し、一戸建て住宅はほとんど見られず、マンションの一階部分や地下部分を飲食店としているところが多い。夜になると飲食店にたむろする外国人が非常に多くなる地区で、昼間に歩くとタバコの吸い殻などのゴミが非常に多く、町全体がかなり汚い。日中市三坂の六本木三丁目側を歩くと、歩道はゴミだらけで驚くほどで、六本木ヒルズの開業で活況を呈する材木町側とは対照的に、ペンシルビルに風俗店、外国人向けのクラブなどがひしめき合い、ごちゃごちゃした雰囲気となっている。

■ 町内の坂

市三坂
閻魔坂

■ 町内の神社仏閣

なし

■ 町内の教育施設

港区立三河台中学校(今はない)

■ その他町内にあるもの(あったもの)

三河台公園
聖ヨゼフ修道院
俳優座劇場
スクウェアビル
日拓ビル


旧町名一覧に戻る

「麻布細見」トップページへジャンプ
2004年1月18日公開 2005年12月25日更新


(c) Kasumi Miyamura. All rights reserved.