
■ 町域麻布区東部、北行してきた古川が一の橋で流れを東に向けるところの河岸地。麻布新網町一丁目と地続きになっており、現在の東麻布三丁目に含まれる。
■ いわれ
元禄11(1698)年に材木屋、薪屋、土屋の3商人が普請奉行に願い出てこの地を拝借したのが始まり。薪を積み置きしたため、薪河岸という名で呼ばれた。
■ 歴史
明治に入り河岸地が行政区画として認められるようになり独立したが、麻布・芝地区の他の河岸地同様、徐々に独立した行政区画としての機能を失い、区画整理時点では帳簿に名前だけが残り、町域も住民もなし、という状態になっていた。いつごろまで独立した町として存在していたのかは不明だが、昭和8年のこの地区の地図を見ると、町域がはっきりと示され、番地も振られているが、同じ地図では東隣の新門前河岸の町域は示されていない。
■ 現況
東に大きく曲る古川の上には首都高速2号線と環状線が合流する一の橋ジャンクションができ、二重の高架が唸りを上げている。河岸地であったと思われる場所は公園となっているが、古川の水はコンクリートの堤防のはるか下を澱んで流れており、かつての河岸地の面影を見つけることは難しい。
■ 町内の坂
なし
■ 町内の神社仏閣
なし
■ 町内の教育施設
なし
■ その他町内にあるもの(あったもの)
麻布十番暗渠が古川に合流する地点
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2004年1月18日公開 2004年2月1日更新