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麻布今井町

■ 町域

麻布最北端の町。現在の六本木通り沿いの市三坂の谷を挟んで北側には赤坂の丘を持ち、南側は市兵衛町の尾根に向かって上る、南北に長い町。南東部は江戸期には今井寺町と呼ばれていた一帯で、六本木通りを越え、なだれ坂寄席坂に沿う形で市兵衛町二丁目に食い込んでいる。現在の六本木二丁目の一部、六本木四丁目のごく一部、六本木三丁目のごく一部で構成される。町の東端部には赤坂区との境界に忠臣蔵で有名な南部坂があり、また、町の北端は赤坂氷川神社と接するなど、赤坂側に有名な史跡が多い。

町の北側は赤坂氷川町、赤坂福吉町と接し、東側で谷町箪笥町と、南で市兵衛町と、西側で三河台町と接する。

■ いわれ

町内の台地(現在のアメリカ大使館宿舎)に今井四郎兼平の居城があったという。「小田原衆所領役所帳」に既に今井の名があるという。江戸以前は今井村の範囲は非常に広大で、赤坂溜池、虎ノ門、芝西久保、六本木、青山などに至っていた。

■ 歴史

承応3年(1654)に今井村の田畑が幕府に召し抱えられることになり、その代わりに与えられた土地は牟礼(井の頭公園の方)であった。代地があまりにも遠いため村民は移転を嫌がり、現在の今井町周辺に移り住んだという。この住民達が今井町、今井寺町麻布今井三谷町などの起源となり、今井町は当時今井本村と名乗っていた。

麻布今井法音寺門前(寛永8年(1631)起立)、麻布湖雲寺門前(元禄8年(1695)四谷仲殿町より転来)の二つの門前町屋があった。町の南には寛永期に寺院が多く起立し、今井寺町と呼ばれた。

明治2年に麻布今井町が起立する。その際赤坂一ツ木町飛地を合併した。一方上述した今井法音寺門前と麻布湖雲寺門前は谷町に合併された。しかし、翌明治3年12月、今井三谷町、今井寺町、麻布今井法音寺門前が合併し、東今井町として独立する。さらに明治5年には武家地寺社地合併の際に、武家地寺社地と共に東今井町は今井町に合併され、最終的な町域が確定する。このような変遷があったため、町域が複雑な形をしている。ちなみに合併された武家地は真田信濃守、相馬大膳亮の各中屋敷などであった。

明治以降、旧武家地は大邸宅となり、三井、藤田両邸となった。町の南側は依然として寺院が多く、現六本木通り沿いは商人職人が多く住んだ。

太平洋戦争で全町域が被災した。戦後はかつて大邸宅だった北部台地は広大なアメリカ大使館宿舎となり、町域の半分以上を占め、電車通り(現六本木通り)は商店街となり、電車通り南側の寺院はそのまま残ったが、住宅が入り交じった。

■ 現況

町域の北部は戦後と変わらずアメリカ大使館宿舎が広大な土地を確保している。南向きの台地で一番いい場所である。大使館宿舎周辺も閑静な高級住宅地となっているが、南東に向かって土地が低くなると、やや古めの商業ビルが多くなる。六本木通り沿いは北側南側とも古めのビルが多く、あまり活気がない。首都高速のせいで陽当りも悪く、煤煙でビルが汚れて見えるので余計そう感じるのかもしれない。

六本木通り南側の旧今井寺町周辺は中小住宅の中に寺院が残っているが、「新修港区史付図その3 昭和35年当時の港区」地図には町域に6つあった寺院が、平成15年12月に歩いて確認できたのは4つで、かつて門前町屋を擁した法音寺(六本木通り南側)は見つからなかった。六本木通り沿いの寺院から順番になくなっているという印象がある。

■ 町内の坂

市三坂
なだれ坂
南部坂
寄席坂

■ 町内の神社仏閣

円輪寺
湖雲寺
眞性寺(今はない)
善学寺
大泉寺(今はない)
法音寺(今はない)
妙像寺

■ 町内の教育施設

なし

■ その他町内にあるもの(あったもの)

アメリカ大使館宿舎

■ 参照ページ

麻布今井三谷町
麻布今井谷町
今井寺町
湖雲寺門前


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2003年12月29日公開 2005年12月30日更新


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