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麻布市兵衛町

■ 町域

麻布の一番北の台地上に位置する旧麻布市兵衛町は、一丁目と二丁目で構成され、それぞれが異なる表情を持っていた。しかし、現在では町域を六本木通りと首都高3号線、一の橋〜谷町に抜ける都道415号線(放射1号)と首都高環状線が走り、高速の高架によって町が分断されてしまっている。また、泉ガーデンなどの都市再開発やその周辺のビル建設により、町の風情は失われてしまった。

市兵衛町は複雑な町域を持ち、従って隣接する町も多い。西から北にかけては今井町と、北で箪笥町谷町、赤坂霊南坂町と、東で芝葦手町、芝西久保城山町、芝神谷町と、南部で我善坊町仲ノ町東鳥居坂町と、西部で三河台町と接する。現在の六本木一丁目の一部、六本木三丁目の一部、六本木四丁目の一部が町域であった。

市兵衛町はほぼ全域が高台だが、二丁目西端の六本木通り沿いには急峻な谷があるため、坂も多い。丹波谷坂は岡部丹波守組屋敷があったためついた名で、寄席坂は坂沿いに「寄席福井亭」があったためついたという。この福井亭の近くには、関東大震災まで、矢口の渡(現大田区)の新田神社の分霊を祀ったという小祠があったという。 なだれ坂は今井町との境界にある坂で、一帯は里俗として「なだれ」と呼ばれていた。丹波谷坂の南隣には不動坂があり、これは坂沿いにある真言宗寺院、不動院が由来である。 市兵衛町最北端には三谷坂がある。坂よりも北は旧赤坂霊南坂町になる。

■ いわれ

慶長年間(1596〜1615)には今井村の一部であった土地が、今井台町と呼ばれるようになった。今井台町は今井村のうち、台地にあるためついた名だったが、元禄8年(1695)に土地の名主の名前をとって市兵衛町と改名したという。

■ 歴史

上記の市兵衛町のほかに、その西南に今の新宿区、内藤宿に拝領町屋を持っていた同心が代地を受けて移ってきて、その地は坂江町と呼ばれた。それ以外の地域は明暦2(1656)年の地図で既に全域が武家地となっており、この情勢は幕末まで変化しなかった。幕末には応酬八戸藩南部近江守、丹後宮津藩本庄宮内少輔、相模荻野山中藩大久保長門守などの上屋敷などであった。

江戸時代の市兵衛町には岡場所があったが、天保の改革で取り払われたとの記録がある(港区史)。

明治2年に上記町屋に麻布陽泉寺門前を加えて麻布市兵衛町としたが、同年武家地を加えて麻布市兵衛町一丁目とし、さらに陽泉寺門前を削って麻布市兵衛町二丁目となった。

一丁目の高台は明治に入って華族名士の邸宅が多くなり、東久邇宮邸、住友邸など、ほぼ全域が大邸宅になった。二丁目のもともとが町屋であった地域には商店街ができ、住宅地もできた。

太平洋戦争の際に一丁目の約半分、二丁目の大部分が戦災を受けた。二丁目には永井荷風の住居「偏奇館」があったが、空襲にて消失した。

戦後、かつての大邸宅であった土地は分割され、分譲住宅になったり、高級アパートとなった。

■ 現況

かつての市兵衛町の一帯は、大別して、泉ガーデン、IBMビルなどが林立する再開発地域と、六本木の歓楽街の一部を構成し景気の低迷に伴って没落しつつある、ペンシルビルの立ち並ぶ地域に分けられ、その隙間に中高層のマンションや古くからの住宅や寺社が谷間のように点在している。泉ガーデン裏手には荷風の「偏奇館」跡のプレートが出ているが、往時の面影はまったく残っていない。六本木通り沿いの寄席坂周辺も買い上げられた土地が広大な更地となっており、近い将来高層ビル化するのだろう。泉ガーデンの向かい側には城山ヒルズがはみ出しており、地名に一部混乱が生じている。公園も寺社地もないため、緑地がほとんどないのも寂しい。

■ 町内の坂

市三坂
稲荷坂
御組坂
三谷坂
丹波谷坂
なだれ坂
不動坂
行合坂
寄席坂

■ 町内の神社仏閣

不動院

■ 町内の教育施設

なし

■ その他町内にあるもの(あったもの)

偏奇館跡(プレートのみ)
泉ガーデン
城山ヒルズ
サウジアラビア大使館
スペイン大使館
スウェーデン大使館

■ 参照ページ

麻布坂江町
今井寺町


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2003年12月21日公開 2006年4月23日更新


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