
■ 町域
旧麻布網代町は現在の麻布十番二丁目の一部と麻布十番三丁目の一部から構成される小さな町である。古川沿いの低地に位置し、一の橋交差点や麻布十番商店街、パティオ通りなども含まれる。町の東端を走る桜田通りの東には古川が流れ、そのため土地が低く大雨の際には水が出ることもある。西に向かうと善福寺や元麻布ヒルズに向かって徐々に土地は高くなるが、ほとんど高低差はない。
北側で新網町二丁目と、東では新広尾町一丁目と、南は山元町、西は坂下町と境界を接する。
■ いわれ
隣接する新網町の住民が代地を受けて移ってきた。新網の代地を縮めて「網代」と呼ぶようになった。そのため、読みは「あじろ」ではなく「あみしろ」である。
■ 歴史
もともとは古川沿いの低湿地で、江戸時代に入り武家屋敷が出来て人が住むようになった。享保17(1732)年当時町域は石川氏の邸地だったが、北隣の新網町二丁目は拝領町屋敷が入り交じり、沼地などもあったため元文3(1738)年に奉行に願い出て代地を得て(上の記述を参照)網代町一帯に町屋ができはじめた。もともと隣の新網町自体が現在の浜松町周辺の芝新網町の代地であったことからもともとの代地とこちらの代地の二カ所が新網町二丁目代地となり紛らわしいため、こちらを網代町と称すこととした。
また、網代町の西南端には町の成立より古い時期、宝永元(1704)年に、現在の六本木3丁目にある旧麻布今井町内に江戸期にあった今井寺町が元禄12(1699)年に道路拡張のため立ち退いた者に代地を与え、今井寺町代地となった。この代地は江戸時代が終わるまでそのままの形で残ることとなった。
明治2年に上述の今井寺町代地を合併、さらに明治5年には武家地も合併して麻布網代町が起立する。町の北側は十番商店街として賑わい、南部は山元町にかけて三業地となり料亭や待合などが出来た。
南に隣接する東町との境界近くに溝渠があり、石橋が架かっていた。石柱には「網代橋明治三十五年成」と刻まれていたという。この石柱は溝が暗渠となり橋が取り壊された後も麻布坂下町にあった(現在のハラストアーの場所)末広神社に所蔵されていた(末広神社は空襲で消失し、戦後麻布十番稲荷に合祀された)。
戦前の麻布十番一帯は麻布随一の繁華街として多いに繁栄し、現在の商店街というよりは、寄席、演劇場、映画館、飲食店などが並ぶ一帯であり、二の橋に下る花街も大いに賑わったという。関東大震災、空襲を乗り越え復興した繁華街は高度成長期まで繁栄を続ける。
昭和30年代後半になりテレビの普及により映画館が没落するとともに、当初麻布十番を通るはずだった地下鉄日比谷線が商店街の反対で麻布十番を通らず六本木を迂回したことにより繁華街が六本木に移動し、麻布十番は不便で寂れた商店街へと変化していく。
■ 現況
昭和50年代後半から、不便で寂れた商店街が六本木の繁華街のすぐ裏手にあるということで逆に脚光を浴び始め、麻布十番は都心の下町として注目を浴びるようになる。都会の孤島と言われた麻布十番に地下鉄南北線と大江戸線がほぼ同時期に開通し、交通の便は非常に良くなった。
網代町北部は現在も麻布十番商店街のメインストリートとして大いに繁栄している。個人商店が一つずつ姿を消し、後には大手資本の入った飲食店や眼鏡店が開店することが多い。また、一本南のパティオ通りにも多数の商店や飲食店がひしめいている。最近は十番大通りよりパティオ通りの方が飲食店は全般的に元気なようだ。
網代公園周辺にあった三業地は完全に姿を消したが、現在も飲食店が多く、夜になると活況を呈している。かつての住宅や飲食店がマンション化しており、そのテナントとして飲食店がマンションに入っている形が多くなりつつある。比較的高層のマンションが多い。
■ 町内の坂
なし
■ 町内の神社仏閣
なし
■ 町内の教育施設
なし
■ その他町内にあるもの(あったもの)
網代公園
地下鉄麻布十番駅
麻布三業地(今はない)■ 参照ページ
■ 写真で見る麻布網代町(写真をクリックすると拡大表示されます)
1. 一の橋交差点角、麻布十番商店街の入り口。ウェンディーズのすぐ脇には地下鉄の出口があります。通りの右側は隣の新網町になります。
2004.3.7撮影
2. 左の写真と同じ場所から古川橋方面に向いて撮った写真。左手、新広尾町を流れる古川はマンションの影に隠れて見えません。
2004.3.7撮影
3. 一の橋交差点からパティオに向かう通り。かつてはパティオ方面から一の橋の古川に向かって清流が流れていたとか。
2004.3.7撮影
4. バス通りを二の橋に向かって進み、隣の山元町との境界付近で一枚。白いフェンスに囲まれた工事中のビルの途中から手前が山元町になるようです。2004.3.7撮影
5. 左の写真と同じ交差点から西に向かい、雑式通りに向かうところで一枚。この辺りから山元町にかけてはかつて三業地があったそうです。2004.3.7撮影
6. 網代町が南にぐっと張り出す箇所です。細い路地が碁盤の目状に残っています。2004.3.7撮影
7. 裏道で見つけた、料亭の雰囲気を残した門構え。本当にこの辺りに三業地があったのでしょうか。実感できるものがあまりにも少ないです。2004.3.7撮影
8. 雑式通りと平行に走る南北の通りを網代町の南端から北に向かって。古川沿いの低地が続いています。2004.3.7撮影
9. 左の写真と同じ場所で右を向くと、お寿司屋さんが。このお店のお寿司、実は結構好きなんです。2004.3.7撮影
10. 南北に通る裏道からバス通りに向かう東西の通りに向かって。正面は古川沿いのマンションです。2004.3.7撮影
11. 南北の裏通りを南に向かって一枚。奥に見える信号は仙台坂下の交差点です。2004.3.7撮影
12. 網代公園です。桜の大木が一本あり、桜の時期には見事です。2004.3.7撮影
13. 網代公園の脇を東に向かって。奥の通りはバス通りで、正面に屏風のように古川沿いのマンションが。2004.3.7撮影
14. パティオ通りをパティオ側から一の橋交差点に向かって。くねくねと曲がる道は、かつて水の流れがあった証明なのでしょうか。2004.3.7撮影
15. パティオです。斜面下半分ぐらいが網代町で、上半分ぐらいがお隣の坂下町に属します。この日は消防署のイベントをやっていました。2004.3.7撮影
16. パティオを背にして十番通りに向かって撮りました。通りの左は坂下町、右が網代町です。
2004.3.7撮影
17. 十番通りからパティオ下に向かって。今度は右が坂下町で左が網代町です。
2004.3.7撮影
18. 十番通りに面した網代町北端部分です。この辺りは商店よりも飲食店が多くなっています。工事中のビルは今コンビニになりました。
2004.3.7撮影
19. パティオ通りから十番通りへ抜ける裏路地。両側に飲食店が並んでいます。夜になると一層の賑わいを見せる一帯です。
2004.3.7撮影
20. パティオ通りから網代通りを公園に向かって。右にはとんかつの「むら中」が、左手には居酒屋「山忠」が。さらに右手には「和可奈鮨」が。
2004.3.7撮影
21. 一の橋交差点からパティオ通りに入って最初の路地。麻布には数えるほどしかないパチンコ屋さんがあります。
2004.3.7撮影
22. パティオ通りを一の橋交差点に向かって。パティオ通りは手前から奥に向かっての一方通行です。道路の下を川が流れ、一の橋で古川に注ぎます。
2004.3.7撮影
23. 今や麻布十番名物の一つ、「あべちゃん」の焼き鳥と焼き豚。このお店の場所も網代町になります。最近別館ができましたね。
2004.3.7撮影
24. おまけ。2006年の秋祭りで網代町のお神輿が一の橋交差点に差し掛かったところです。毎年網代町のお神輿は元気いっぱいです。
2006.9.17撮影